「周りに貢献し続けた先に未来がある。」 株式会社a-sher・添石 慎顕
2024.09.24
IsaI JOURNALでは、IsaI AkasakA の入居者さまや赤坂エリアに拠点を構える店舗や人物を特集し、この地の魅力を未来へと繋いでいきます。
今回は、IsaI AkasakA に入居されている 株式会社a-sher〔 アシェル 〕・添石 慎顕〔 ソエイシシンゲン 〕さん。
“ a-sher ”とは、ヘブライ語で “ 幸せ ”。社名に採用されたのは、お客様・社員など、関わるすべての人たちに幸せを届け、世界を繋ぐ架け橋になるための意思表示だと言います。
清掃事業やモバイル事業など、様々な事業を展開するなかで、共通するのは「身近に困っている人を助ける。」という信念。経営理念としても掲げられている「最も周りに貢献したものが最も成功する。」という言葉には、添石さんのこれまでと、未来を創造するヒントが隠されていました。
原動力は、“ 誰かのために ”
– – 早速ですが、 添石さんの学生時代について教えてください。
添石さん:学生時代は姉の影響でマーチングバンドをやっていました。中学一年生からはじめて、最終的に高校卒業まで続けました。通っていた高校はマーチングバンドの強豪校だったので、世界大会にも出場できたんです。青春を捧げていました。笑
高校卒業後は、地元の沖縄県でマーチングバンドのコーチをしていました。当時、中高生を相手に指導をしていたのですが、日々子どもたちと向き合っているうちに、教育に関わる仕事がしたいと思うようになって。その後上京して、学童保育の仕事をするようになったんです。
– – マーチングバンドに、学童保育。そこからどのようにして、現在の会社設立に至るのいでしょうか。
添石さん:働いているうちに「自分で何かしたい」と思うようになりました。それで、教育事業をメインとした会社を立ち上げたんです。ですがちょうどその頃、新型コロナウイルスが流行りはじめて、集客が難しく、事業を継続することすら困難な状況になってしまったんです。
その間は赤字経営だったので、現状を打破するために、私自身が清掃会社で働きはじめたんです。そこで大勢のベトナム人と出会いました。その時にふと思い出したことがあったんです。
私がマーチングバンド関連でアメリカに行っていた時、英語が全く喋れなかったので、だいぶ苦労したんですよね。そう思うと、ベトナムの方々も同じく言語だったり、文化の違いで苦労されているんだろうなと思って。そう思いながら、彼・彼女らと関わっていくうちに、だんだん仲も深まっていったんです。気づいたら、「この人たちの力になりたい」と思うようになっていて。
– – 当時の出会いと出来事が現在の取り組みのきっかけになっているんですね。
添石さん:そうなんです。早速行動に移そうと思って、まずは清掃事業を立ち上げました。彼・彼女らの雇用先をつくろうと思ったんです。実は、当時出会ったベトナム人の方と、今一緒に事業を運営したりしています。当時の出会いと出来事が、私のターニングポイントになりました。
時間をかけて、架け橋に。
– – では、 株式会社a-sherの事業内容について教えてください。
添石さん:現在は在日外国人の方々を対象にしたビジネスサポート事業、就労支援事業、教育事業、不動産賃貸事業、モバイル事業を展開しています。全ての事業が、在日外国人が日本で働きやすく、そして暮らしやすくするためのサービスになります。
近年、日本に出稼ぎに来る在日外国人が増えています。日本における労働人口不足の観点からも、政府が外国人の働き手を増やす取り組みを推奨しています。
一例ですが、弊社の事業で「なぜ、モバイル事業を?」と言われることがあります。実は、在日外国人のなかには、過去に未払いを起こしてしまって再契約できずにいる方や、そもそも信用を示せず、契約できずにいる方がいたりするんですよ。そういった方々のために、弊社が独自に設けた審査内容で契約しやすい環境を整えているんです。
– – なるほど。助けたい方々が明確だからこそ、一貫したサービスを展開されている印象を受けました。では、教育事業についても教えてください。
添石さん:ベトナムで日本語学校を運営しています。ですが厳密に言うと、運営会社はもう一つ私が経営している I-School株式会社 になります。
今、日本で働きたいと思っている若者は非常に多いんですよね。ベトナムの平均月収は現在の日本円で換算すると、だいたい5万円ほどと言われています。ベトナムの中心街でも、8万円〜9万円ほどです。これはあくまで平均値なので、田舎では1万円〜2万円ほどになります。日本だと平均月収が25万円〜30万円前後になるので、彼・彼女らにとっては十分な稼ぎになりますよね。
こういった流れに応じて、日本政府も在日外国人が働きやすい環境づくりに努めています。あと数年も経てば、3人に1人が外国人労働者になるとも言われています。
– – 私たちが在日外国人の方々と働く機会も増えそうですね。これまでに、言語・文化の違いで苦労された点もあるかと思いますが、どのように向き合ってこられたのでしょうか。
添石さん:そうですね、過去に色々とありましたが、ベトナムでは鍵がかかっていない自転車は「みんなで使うもの」という認識になるそうです。
以前に、弊社で働いてくれていたベトナム人の方が鍵がかかっていない自転車を悪気なく盗難してしまったことがありました。こういった文化・価値観の違いに関しては、時間をかけて擦り合わせしていくしかないですよね。
そもそも私たちが、彼・彼女らの文化・価値観を完全に理解することは不可能だと思います。それは、逆も然りです。そういった前提があれば、お互いに寄り添い合うことができると思っています。ただ、時間はかかるので焦らず、そして丁寧にですが。
今後はカンボジア、ネパール、インドネシアなど、アジア圏内で事業を拡大していく予定です。時間をかけて、世界を繋ぐ架け橋になれればと思っています。
この街の“ 縁 ”に導かれて。
– – 添石さんと赤坂という地域の関わりについて教えてください。
添石さん:実は、家が赤坂にあるんですよ。この街に住もうと思ったきっかけは「氷川神社」という商売繁盛の神社があるからでした笑。完全に縁担ぎです。
– – なるほど笑。では、IsaI AkasakA〔 以下、IsaI 〕 に入居されたきかっけについても教えてください。
添石さん:もともと別のオフィスを活動拠点にしていたのですが、会社も成長し、移転を検討していたところ、偶然、家の近くに IsaI があることを知ったんです。
元ホテルということで、ラグジュアリーな内装がとても気に入っています。オフィスにお客様も招くことが多いのですが、毎回評判が良く、誇らしい気持ちで一杯です。
基本的に私は終日オフィスにいて、月に一度、現場で働いてくれている子たちとミーティングがあるので、その際に会議室を借りたりしています。弊社ではミーティングをする際、少なくて2名、多くても10名前後です。IsaI は人数や用途に応じて活用できる会議室や設備が整っているので、大変助かっています。
日本の未来を一緒につくる仲間。
– – 最後に、今後の展望についても教えてください。
添石さん:身近で困っている人たちに手を差し伸べ続けたいと思っています。弊社は人助けをすることでしか存在意義を示せないので。長期的には上場も視野に入れて、目標にも掲げている「世界の架け橋」と言える会社をつくりたいと思っています。
企業理念としても掲げている「最も周りに貢献した人が最も成功する。」という言葉。これは私が歩んできた人生からも、証明できる事実。成功というものは、大きなことを成し遂げるということだけではなく、身近な人たちを助け、感謝され、そして豊かな気持ちになることだって、立派な成功と言えると思っています。
在日外国人の存在は、日本が抱える課題の一つ、労働人口不足を解消する大きな手助けになるはずです。言わば、彼・彼女らは日本の未来を一緒につくる仲間とも言えますよね。
株式会社a-sher
在日外国人の就職支援、生活のサポートを中心に事業を展開。クライアント・社員など、関わるすべての人々に幸せを届け『世界を繋ぐ架け橋になる』事を目指している。